就活は不平等な競争である

就活は最後の平等な競争である

あるとき、Twitterで

「就活は平等である」「受験のように金銭的格差に依らず、最後の平等な競争である」

という感じの内容が流れてきた。

私は目を疑った。本当か?と。

確かに受験のように親の経済力や自身の地頭に依存しない競争ではある。
金が無くても、頭が悪くても勝つことができるのが「就活」である。

しかし!!!だからといって平等であると定義するのは納得いかないぞ!

例えば理系院生が商社やメディア業界に就職したいと思ったとしよう。(。。。私のことだというのは内緒

就活界隈で相当人気の業界であり、就活をしっかりしたものだけが入れる。
受験と同じように何時間も何千時間も費やしている人が手にする勝ち。

それを理系院生がこなせるかというと、、、難しい。

なぜなら、大学院に入学してから授業と研究に追われる日々が待ち構えているから。

毎日学校に行ってごらんよ。朝9時から夜の19時まで研究室にこもってごらんよ。

家に帰ってからも授業の課題をこなさなければならない。

、、はい。就活やる暇ないのです。

理系院生が文系就職をしようもんなら、ある程度研究を犠牲にする必要がある。

研究するために大学院に入学したのに、それが許されない環境が辛かった。

「就活は平等」

この世の中に、平等な競争などない。

生まれ持った能力、環境によって必要な努力量は変わってくる。

就活は不平等である要因は他にもある

理系院生、文系学部生というバックグラウンドももちろんだが、ほかにも、、

  • 顔面偏差値
  • 情報戦
  • 頼れる先輩やメンターなどの大人がいるかどうか
  • 学歴
  • インターンからの裏口入学

はっきりいって、受験の方がよっぽど平等。

知っている知らないの情報戦によるところも大きい。

顔面偏差値も超重要。人は見た目が9割だからね!!(辛い)

やっぱり平等な戦いなんかじゃない。

キャリアを変えようとすることを拒む就活

理系院生がなぜ文系就職?

この質問は必ずと言っていいほど聞かれた。やはり理系院生が選考を受けに来るのは珍しいのかもしれない。もしくは研究に飽きたのかもとマイナスのイメージを持たれているのかもしれない。

大学院で学んだ専門知識や研究力は将来に活かさずに捨てさってしまっていいのかと。

何のために大学院に進学したんだと。キャリアのことを何も考えていないと。

私の答えはこう。

研究はかなり時間がかかることを痛感した。だからもっと短期間で結果が出たり、多くの人と関わり合って影響力が大きい仕事がしたいという漠然的な思いを抱くようになった。

加えて同じようなキャリアや仕事内容はつまらなくないか?と考えており、一度きりの人生なのだから色々やってみたい。
研究職を目指すのではなく、全く新しい道に進んでみたいのだと。

人より好奇心旺盛なのだろう。

また、やりたいことってすぐに変わるのではとも思っている。

その時々に、自分に嘘をつかずに生きていたい。やりたいと思ったことに挑戦していきたい。

今までのキャリアに縛られて動け出せずにいるよりも、勇気をもって歩みたい。

それの何が悪いのか。外野からがやがや言われた過去の私を励ましてあげたい。今ならできるけど、就活生時代は本当に落ち込んでいた。

【まとめ】就活は人によって難易度が異なる

自分の専門を活かした仕事がしたい!と考えている人なら、確実に就活は楽である。

高い専門性を有した人物は中々いないし、倍率が低くなるからだ。

しかし道を変えようとしたり、ありきたりな理由で何となく目指そうとすると就活は大変である。

何万という就活生と戦わなければならないからだ。倍率は大企業ほどエグイことになっている。

自分の能力だけではなく、先輩に恵まれているかどうか、容姿端麗かどうかにも依存してしまう。

就活で病んでしまうのは、自分に価値がないから落とされるのだと自分を否定された気持ちになるから。

私もそうだった。本当に辛かった。自分に価値がないと突きつけられるのは全世界が敵のように見えるのだ。

しかし、運や環境の要素も大きい就活だからこそ、平等な戦いではないからこそ、自分を欲してくれる会社と出会い、「是非ウチへ」と言ってもらえる日まで走り続ける必要があるのだと個人的は思っている。

がんばれ全就活生!!応援してます。