誰かが自分で死という選択肢を選んだときに、「原因は○○」でした的なニュースを見たときの違和感。
まあ、確かに大きな原因はそれかもしれないけど、最後にとどめさしたのがそれっていうだけなんだろなと思う。
子供の頃から無限に傷ついてきて、心がすり減っていって、この世につなぎとめていた最後の糸が切れた瞬間にあの世に行く。
心がすり減っていく良い例として、ある動画がめちゃくちゃ言語化うまくて紹介したい。
その動画では、ある母親が子供に対して、紙に暴言を吐けと言う。子どもが母親の指示に従って暴言を吐くんだけど、そのたびに紙はクシャクシャになっていく。
で、最後に母親が子供に対して「紙に対してごめんなさいしようね」って言って、子どもはごめんなさいを紙に言うんだけど、紙はもう元のきれいな状態には戻れないわけ。くしゃくしゃの状態からもとに戻ろうとするけど、もう戻れない。
この表現方法を見た時少し感動したくらい、この動画は心に刻まれていく傷の可視化に成功していて、一度傷ついた心はクシャクシャになった紙のように、もう綺麗な状態にはなれない。
体につけられた傷は時間と共に治っていくが、心についた傷は下手したら一生治らない。
わたしも未だに言葉や態度によって傷をつけられた場面がフラッシュバックする。
ああ、まだ許せてないんだなと思うのと同時に、思い出すことで自分で自分の心を傷つけている。ある意味の自傷行為なのかなと思ったり。なんでそんなことしちゃうんだろ。自分でも謎。
心が繊細なのではと思う人がいるかも。ただ、その一言で片づけるのは簡単で、問題はそう簡単じゃない気がする。
なぜこれほどまでに人の態度や行動、言葉に傷ついてしまうのか。
なぜ人によって傷に対する回復力や耐えられる傷の量が違うのか。
たしかに生まれながらの心の強さはもちろんあると思う。でも、、、それでも、、、傷つく人と傷つかない人の差は一体なんだろうな。
その答えを探し求めて、今日も布団の中に入った時に天井見つめながら考えつづけちゃうのだろうな。